GCCはまた、「私たちは神の家族として、互いに祈り合い、裁かずに赦し合い、謙遜に仕え合い、聖霊によって心を一つにし、キリストの臨在が見えるような暖かい教会を建てあげます」という願いを掲げてきました(「GCCの祈りと願い」の第三項)。
幸いにも、謙遜で柔和な方々が教会員の大勢を占めていたので、その願いに近い共同体が建て上げられ、神の家族という感じが醸(かも)し出されています。教会に新たに加わってくる人もその方々に感化されて、次第に同じようになってきています(ある教会員の弁)。これは主の恵みと憐れみで、本当にありがたいことです。
しかし、6年前に取得した建物も、日曜日は各階とも飽和状態が続き、次の段階に進まなければならない時が来ています。先月21日の「ビジョンを語る会」で、この件に関しては、おおむね二つの考え方が出ています。
一つは、地価の安い圏央道沿いで小さく開拓教会をスタートし、漸次、土地建物を獲得していくという案です。最終的には、災害時の「逃れの地」や老人ホームなどの施設を作ります。そのためには、今の教会の群れから少なくとも数人が移り住まなければなりません。また、最初の拠点(とっかかり)を見つけることが第一歩となります。
もう一つは、人口の多い久米川で、新たに建物(とにかく空間)を広げ、教会の当初の「地域に根差す」という目標を目指すことです。教会員が200を超えるようになれば、スケールメリットが出てきて、教会の学校や宣教師派遣も可能になります。しかし、地価が高いこと、広い空間を確保するのが難しいこと、などの問題があります。
いずれにせよ、当面は、今の空間をどう用いていくかを優先しつつ、次の段階に移ることになります。現在、会堂は水曜朝、木曜午前、金曜夜、土曜午後以外の平日は使っていません。2階のフェローシップホールは、隔週で木曜と土曜の午後の一部以外は空いています。それを活用していく働きを始めることも大切です。
今が一番居心地の良い時ではありますが、新たなことを始めていく「わくわく感」を味わいたいと思います。この建物を取得するために、長らく祈りました。今、同じように主に求めて祈るべき時が来ています。