ひと頃(あるいは今も)、グローバリズムがもてはやされました。「国家を超えて、地球全体を一つの共同体とみる考え方」(デジタル大辞泉)です。でも結局は、欧米基準で物事を決めるということです。アラブ諸国や中国などはそれに抵抗しているように見えますが、日本人の多くはまだ無自覚に受け入れているのではないかと思います。
バンブーシーリング(竹の天井)という言葉があります。「竹」はアジアを指します。アジア人が、欧米の息のかかった世界で、上位に進出しようとすると、目には見えない「竹の天井」があって、妨害や非難を受けたり、成功や昇進のチャンスが閉ざされたりするのです。政治やビジネスの世界だけでなく、学問、スポーツの世界でもそうです。
アジア人は、アジアにおいてであっても、欧米の枠組みや英語やその思考形式を用いることがほとんどです。「そんなの当り前ではないか」と言うこと自体が、欧米基準の世界に無自覚なのではないかと思います。
かつて、長野冬季オリンピックなどのスキージャンプで日本人が活躍したことがありました。それ以降、欧米人有利なようにルールが変更されました。欧米がメダルを独占してきたフィギャアスケートで、荒川静香が2004年の世界選手権において優勝しました。しかし、国際スケート連盟はすぐに採点システムを変更し、「荒川潰し」を始めました。彼女の優雅な「レイバック・イナバウアー」も加点から外されました。平昌オリンピックでも、アジア人に不利な採点がなされ、批判が相次ぎました。他の競技でも同様のことが見られます。欧米基準の支配はなかなか変わりません。
ところで、キリスト教についても同様のことが言えます。日本人の多くが、欧米のキリスト教が世界標準のキリスト教だと思いこんでいます。ギリシャ・ローマに端を発する合理主義のキリスト教、組織神学のキリスト教、アメリカの不寛容で戦争好なキリスト教というイメージです。イスラエルのイエス(イエシュア)ではなく、アメリカのジーザスのキリスト教です。私たちは、聖書のヘブライ土壌に根ざしたイエス・キリストを取り戻していきたいと思います。