1945年7月26日、原爆実験が成功したとき、原子力研究所所長のオッペンハイマーは、ふんぞり返るように得意げだったといいます。原爆の破壊力は想像以上に恐ろしいものでした。しかし、彼は原爆の目的と意義を強調し、たとえ日本が降伏寸前であっても、原爆を投下してその悲惨さを世界に見せつけ、心理的影響を与える必要があると主張したのです。
亡命ユダヤ人科学者レオ・シラードは、「原爆を投下すれば、アメリカは人類史上最初に原爆を使った国民として信頼を失うだろう」と訴えました。しかし、オッペンハイマーの耳には届きませんでした。戦後、シラードは、核軍縮運動に転じています。
オッペンハイマーは、8月6日、原爆が広島を破壊したと聞くと、「誰もが喜んでいます。心からお祝い申し上げます。うまくいってよかったです。戦争終結に貢献しました」というメッセージを、マンハッタン計画の責任者グローブス将軍に送っています。戦後、オッペンハイマーは赤狩りで公職を追放され、62歳で死にました。
さて、原爆の製造と投下は、それに関わった人々の心をあらわに見せてくれています。
最初から最後まで、自分の名誉と立場のために良心の呵責なく突き進み、広島、長崎の惨状を見ても、我々は正しいことをしたと確信していた科学者や政治家。疑問を感じながらも反対も阻止もしようとしなかった人。途中で阻止しようとしても自分の力を越えていることを思い知った人。もちろん、何も考えない人もいます。この人たちはみな、自己正当化の言葉をもっています。でなければ、精神的に病んでしまうのです(原爆を投下したB29「エノラ・ゲイ」の搭乗員イーザーリーなどがそうでした)。
人間は、自分の罪の性質と力をコントロールすることができません。良かれと信じて、人類を絶滅させる兵器を作り出してしまいます。あるいは、自分ひとりの名誉のために、全人類を滅ぼすことさえいとわないのです。
「私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか」(ローマ7:24)。パウロのこの言葉は、全人類の呻きです。