新型コロナウィルスから「逃げる」

新型肺炎の流行が収まりません。医療の専門家たちは、日本でも、拡大期の前段階に入ったと、判断しています。それは、全国各地で感染者が出ていることからも、実感できます。やがて発生源の中国のように広がり、蔓延期に入っていくことは、もはや不可避で、ピークをどれだけ最低に抑えられるかが焦点になっています。私たちもその準備をしておこうと考えます。 まず、「恐れに支配されない」こと。パニック状態になって行動しないことは大切です。若い世代は感染しても軽症で済むことが多く、致死率は0.2%ほどです(1000人に2人)。ただ、持病のある人、高齢者は要注意です。 しかし、「恐れに支配されない」とは、精神主義や「感染したら感染したまでのこと」という態度で、通常の生活をすることではありません。電車、バス、飛行機などは、「クルーズ船」でもわかるように危険です。教会の礼拝も濃厚接触の場になります。韓国大邱市の新天地の教会で、1人感染から2日目に144人まで広がったことからもわかります(異端だからそうなったのではない)。 企業は早くから対応し、時差出勤、テレワーク(自宅勤務)、テレビ電話活用などの措置をとっています。「自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがない」(ルカ16:8)のです。世から方法を学ぶことも、事によっては大切です。  私は、7年前の東北の津波被害の教訓を、改めて思い返しました。それは迷わず「てんでんこで逃げる」ことでした。人のことを心配せず、人から過剰反応だと笑われようが、「とにかく自分は逃げる」ことです。その方が逆に人を救うことになるからです。逃げて何もなかったら、「何もなくてよかったね」でいいのです。 それで、GCCも「逃げる」ことにしました。その「逃げる」の内容が、皆さんに昨日配信した牧会部からのメールです。今後の状況の変化に応じて「さらに逃げる」か、あるいは「戻る」かもしれません。  私たちは、新型肺炎騒動が「悪い実」だけを残すとは思いません。事態が悪化しても、主は恵みによって、思いもしない「良い実」も結ばせてくださると信じます。それを受け取るために祈りつつ、聖書を学び、礼拝を継続していきます。