東村山は東京の端くれですが、我が家は間近で、鶯(ウグイス)、雲雀(ヒバリ)、郭公(カッコウ)の声を聞くことができます。
昨今は、田舎の蝉だと思っていたミンミンゼミ、ツクツクボウシ、クマゼミまで都会に進出してきました。しかも、真夜中になっても、ニイニイゼミやアブラゼミと一緒に鳴きわめいていることがあります。異常に暑い夏を、ときに一層暑苦しくしてくれる蝉たちです。
でも、さすがにヒグラシの声は聞きません。ヒグラシは群れで奏でます。涼しい朝夕、みんなで一斉に、しかし寂し気にカナカナと林の中に響き渡らせ、夏の終わりを慰めてくれます。日中の炎天下ではけっして鳴きません。真夜中も鳴きません。山里だけにふさわしく、都会で奏でれば興ざめかもしれません。
実は、山里育ちの私ですが、一度もヒグラシの姿を見たことがありません。子供のころは長らく、蝉の声だとは知りませんでした。私には神秘的な蝉なのです。声は聞きたいですが、おそらく一生、その姿を見ることはないだろうと思います。自分の姿を見せずに人の心を和ませ、慰めるなんて、奥ゆかしいではありませんか。
ところで、短い命を終え、アスファルトの歩道やセメントのベランダに転がっているのは、きまってアブラゼミです。しかも、いつも仰向けになって腹を見せています。ミンミンゼミやツクツクボウシなど、羽の透き通った美しい蝉の死骸は見たことがありません。
でも、ありふれた蝉として、7日間精一杯活動して、その活動のさなかにコンクリートの壁にぶつかり、アスファルトの上に無様な死骸をさらし、見向きもされないというのも、一所懸命生きた姿かなと思います。ヒグラシもよし、アブラゼミもよしです。蝉もそれぞれです。
30過ぎで首を刎ねられ、無残な死を遂げたバプテスマのヨハネもよし、パトモス島に流され、長生きして福音書、書簡、黙示録を残した使徒ヨハネもよし、です。同じ永遠のいのちを受けて、地上の務めを果たしました。 ~