数年前の元旦、あるデボーション冊子を読んだ私は、毎日、その日神さまに感謝したいことを小さなメモ用紙に書き、それを大きな缶に入れていくことを始めました。日によっては一枚、時には十枚近く。あるときは、爽やかなお天気を感謝し、困難の中にあったときは、その日生きるのに必要な力を与えてくださったことを感謝しました。
元旦から始めて、大晦日に見てみると、その缶は神さまへの感謝のメモでいっぱいになっていました。一年の終わりにメモを取り出し読み返すと、神さまがどれだけの良きものでその一年を満たしてくださったかがよくわかり、胸が熱くなり、あらためて主に感謝を捧げずにはいられませんでした。これはやみつきとなり、その翌年も翌々年も続けました(読みかえしやすいようにノートを使いました)。
悲しいことに、私たちは忘れやすいもので、神さまの素晴らしい御業、恵みも時がたつと感動と感謝の気持ちが薄れてしまいます。イスラエルの民もそうでした。主の恵み深さ、憐れみ深さを知る体験を、これでもかというほどしたのに、です。そのうち、主に守られ、養われることは当然だと思い、祝福の数々を感謝することを忘れてしまいました。神さまの御業を繰り返し自分に語ることは大事です。こんな自分に信仰が、そして永遠の命が、与えられたこと――最大の恵みに感謝が尽きることはありません。
忙しい日々、ストレスを抱えがちな現代、感謝の気持ちよりも不安や不満を感じる人が多いかもしれません。私たちの心の内はどうでしょう。自分の生活を見るなら、どのようなときも感謝すべき事で満ちています。逆に神さまへの感謝がなくなると、不足感、不満が湧いてきます。それを待ち構えていたかのように、サタンが誘惑をしてくることもあります。
夜寝る前に息子と、その日神さまに感謝したいことをお互いに言い、お祈りをします。「感謝がありすぎて、どれにしよう~」と息子が言うことが時々ありますが、本当にそうだと思います。「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」(Ⅰ歴代誌16:34) (江口知子)