みうらじゅんというイラストレーターがいます。1958年生まれ、63才、京都出身、エッセイや小説も書いています。テレビやラジオにも出演してぎょっとする発言をし、女装したり、仏像巡りが趣味だったり、不倫して再婚など、とてもお勧めはできない人物です。しかし、彼の造語能力は高い評価を受けており、「マイブーム」は広辞苑にも掲載されています。彼の造語の一つに「清張ボタン」というのがあり、私も時々若い人たちに、「清張ボタンを押すなよ」と言ったりしています。「清張」とは、小説家の松本清張のことです。
みうらじゅんは語ります。「人生には清張ボタンというものが見える瞬間がある。それをひとたび押せば、生き地獄へのカウントダウンが始まる。だから安定など、束の間の止まり木に過ぎないと思っていた方が賢明なのだ」と。そういえば、松本清張の小説は、どれも人間存在の罪深さがテーマで、読み終えるとやるせなさが残り、切ない気持ちになることが多いです。
清張作品の原点は、今月のエクレシアで取り上げられているマタイ15章19節「悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出てくる」にあります。作品の主人公たちが、ふとしたことをきっかけに「清張ボタン」を押してしまい、身の破滅を招いてしまうのです。
このことを私たちも真摯に受け止めたいと思います。クリスチャンであっても、決して油断はできません。宅配便に「こわれもの、取り扱い注意」のラベルが貼られているように、身も心も弱いのが人間です。今の世の中、週刊誌があちらこちらに協力者を配置して、アリ地獄に落ち込んでいる奴はいないかとかぎまわっています。いつも共にいて見張っていてくださる聖霊様に信頼し、「清張ボタン」を押すことのないようにしなければなりません。
「私たちの父なる神と主イエスキリストから恵みと平安があなた方の上にありますように」(Ⅱコリント1章2節)。(森川桂造)