ハヌカのお祝い

今日は()()()30(ぷん)から、教会(きょうかい)の2(かい)で、ハヌカのお(いわ)いをします。

ハヌカとは「(ささ)げる」という意味(いみ)です。偶像(ぐうぞう)崇拝(すうはい)場所(ばしょ)になってしまっていた神殿(しんでん)を、きよめて、もう一度(いちど)(かみ)(ささ)げることを(あらわ)します。

イエスさまが()られる200(ねん)ほど(まえ)、イスラエルの()は、セレウコス(ちょう)シリアに征服(せいふく)されていました。シリアは、ギリシャの神々(かみがみ)礼拝(れいはい)することを、(たみ)強制(きょうせい)していました。ある(とき)、シリアの皇帝(こうてい)アンティオコス・エピファネスは、主の神殿(しんでん)に、(ぶた)(ささ)げよと(めい)じます。(ぶた)は、けがれた動物(どうぶつ)とされていますので、これは非常(ひじょう)屈辱(くつじょく)(てき)な命令です。これ以上(いじょう)国家(こっか)(したが)えない!と祭司(さいし)マタティアが()()がり、(かれ)死後(しご)息子(むすこ)のユダ・マカバイがその抵抗(ていこう)運動(うんどう)(ひき)います。(マカバイとは、「かなづち」という意味(いみ)のあだ名です)(かれ)はシリアと(たたか)い、ゲリラ(せん)(すえ)勝利(しょうり)(おさ)めました。偶像(ぐうぞう)礼拝(れいはい)場所(ばしょ)となっていた、エルサレムの神殿(しんでん)()(もど)し、もう一度(いちど)(まこと)(かみ)神殿(しんでん)として、きよめ、(ささ)げたのです。

このとき、不思議(ふしぎ)なことが()きました。ユダたちが神殿(しんでん)(はい)ったとき、(みや)(しょく)(だい)には、1日分(にちぶん)(あぶら)しか(のこ)っていませんでした。しかし、()をともしてみると、8日間(にちかん)()(つづ)けたのです。まるで勝利(しょうり)をお(いわ)いするかのようですね。

このことを記念(きねん)して、ハヌカは「(ひかり)のまつり」と()ばれ、あらゆる場所(ばしょ)窓辺(まどべ)()がともされ、(うつく)しい光景(こうけい)になるそうです。

今日、なぜこれをお(いわ)いするのでしょうか。ひとつは、主の大きな奇跡(きせき)を、ほめたたえたいからです。主は(えら)びの(たみ)()てず、その信仰(しんこう)勝利(しょうり)(みちび)かれる(かた)です。もうひとつは、信仰(しんこう)をバトンタッチしてくれた先輩(せんぱい)たちの姿(すがた)を思いたいからです。日本に()む私たちは、偶像(ぐうぞう)礼拝(れいはい)強制(きょうせい)される経験(けいけん)が、あまりないかもしれません。その分、主以外(いがい)のものに安易(あんい)(したが)誘惑(ゆうわく)も、大きいと(かん)じます。しかし、私たちに手渡(てわた)された信仰(しんこう)は、信仰(しんこう)先輩(せんぱい)たちが、迫害(はくがい)の中でいのちをかけて(まも)ったものです。たやすく手放(てばな)してはならない。(よろこ)びのお(いわ)いを(とお)して、そのことが子どもたちの(こころ)(のこ)ってほしいと思っています。(新田優子)