人はみな、生きるために生まれます。「私は死ぬために生まれてきました」という人は、いないでしょう。でも、イエス・キリストだけは、ちがいます。主イエスは、十字架で死ぬためにお生まれになりました。死ぬために生まれたのは、イエスだけです。誕生の目的が「死」だった人は、この方しかいません。
死ぬために生まれたとは、悲しいのではないですか。しかし、歴史上、天地において、これほど喜ばれた誕生はありません。天の軍勢が賛美の歌を歌い、羊飼いたちが駆けつけ、東方の博士たちが贈り物を携えて赤ん坊のイエスを訪れました。なぜ、「死ぬための誕生」が、これほどの喜びなのでしょうか。
御使いは、羊飼いたちに言いました。「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」(ルカ2:11)イエスの誕生が、喜びなのは、イエスが私たちのための救い主だからです。
この世の問題の根本は、人が神とのつながりを切ること、神に従わないことです。それが「罪」です。イエスはすべての人の罪を負って、十字架で死んでくださいました。それが、人を天国に入れる、唯一の方法だったのです。
私はクリスマスの前日に、イエスを信じますと言いました。当時、聖書を読んでひとつ分かったのは、イエスという方がとても私のことを気にかけているらしい、ということです。そして私のためにいのちを捨てたらしい。また、周りのクリスチャンは、イエスのこととなるといつも感激して話が止まらない人たちで、そして私のことをとても気にかけてくれました。それで、イエスという方の気持ちがもっとよく伝わってきました。クリスマス前の日曜日の朝、イエスの気持ちに押し出されるようにして、キリストを信じました。 イエスは、私たちのことを、とても気にかけています。生きるために生まれてきた私たちに、神と歩むほんとうのいのちを生きてほしい!と願っています。そのために、イエスは十字架でいのちを捨てられました。このイエスが、私たちの救い主であり、その誕生は、喜んで独り子イエスを犠牲にされた神の喜びです。(新田優子)