せっかく

我が家は昭和50年頃造成された住宅街にあります。地下に埋められた水道管が老朽化し昨年から水道管の取替え工事が始まりました。数年かかる計画だそうです。

我が家の前の水道管の番になり、時々家の中から見学しているのですが、朝から何人もの作業員が来て、重機とスコップで地面を掘り起こし、かなり深く掘り下げて何かやっています。そして夕方には埋め戻し、綺麗に舗装します。それで終わったのかと思うでしょう。しかし翌日やってきて、同じところをまた舗装をはがして掘り起こし、作業しています。ついに終わったかと思ったら、また来週掘り起こすそうです。何度も何度も掘っては埋め戻すのです。私は思いました。「せっかく綺麗に舗装したのに。資源も時間ももったいない」と。

 ふと、私は「せっかく」という思いを良く抱いてはいないか、と気づきました。子どもといると実に多くの「せっかく」が襲ってきます。「せっかく」手を洗ったのにまた手を汚し、「せっかく」着替えたのにまた泥んこで、「せっかく」買ったズボンに穴が開いて、「せっかく」作ったご飯を嫌いだと言う。実に腹立たしくなります。

 でも、イサクは「せっかく」掘った井戸を敵にふさがれても争わず、次の井戸を掘ったではないか。そんな声が心に聞こえてきました。しかも神さまはどれほどの「せっかく」を私に尽くしてくださったんだ。急に恥ずかしくなりました。神さまはせっかく、私のためにひとり子をお与えになられ、私を幼少から教会へ導いてくださったのに、私は拒み、せっかく大学へ進学させてくださったのに(両親の「せっかく」でもあります)、真面目に勉強せず、せっかく夫や子供たちを与えてくださったのになぜつぶやくのだろう、と悔い改めました。

 神様は惜しまずに最上のものを与えても「せっかく」と押し付けずに、黙って待っておられるのだから、その恵みを受け取った今は、もうつぶやかないでただ感謝だけしたいと思わされました。  せっかくですが、(牧師Mが、字数が多いというので)この辺りで終わりたいと思います。(きのつらユキ)