ハンセン病資料館へ行った感想

先日(せんじつ)教会(きょうかい)(じゅく)とホームスクーラーの子供(こども)たちで、東村山(ひがしむらやま)にある全生(ぜんしょう)(えん)のハンセン(びょう)資料館(しりょうかん)へ行ってきました。

ハンセン病とは、らい(きん)による感染症(かんせんしょう)です。(むかし)人々(ひとびと)は、神様(かみさま)(しん)じていない(ひと)や、人の不幸(ふこう)()ける役目(やくめ)(ひと)がなる病気(びょうき)だと(かんが)えていました。(はたら)くことも(くに)のために(たたか)うこともできない彼らは(くに)(はじ)(おも)われ、強制的(きょうせいてき)に、療養所(りょうようじょ)収容(しゅうよう)されました。療養所(りょうようじょ)ではまともに()(もの)(あた)えられず、(せま)部屋(へや)大人数(おおにんずう)()しやられ、療養(りょうよう)所内(じょない)結婚(けっこん)しても、子供(こども)()むことは(ゆる)されませんでした。

()げようとしようものなら、(ひかり)(はい)らない独房(どくぼう)()れられました。ひどい環境(かんきょう)自由(じゆう)がなく絶望(ぜつぼう)(なか)()きていたと(おも)います。

(わたし)家族(かぞく)がいつも一緒(いっしょ)にいて、十分(じゅうぶん)()べるものが(あた)えられている生活(せいかつ)がどんなに(めぐ)まれているかを感謝(かんしゃ)させられるとともに、この恵まれた生活(せいかつ)不平(ふへい)不満(ふまん)()ってしまっていた自分(じぶん)()ずかしく思え、()(あらた)めさせられました。

ハンセン(びょう)患者(かんじゃ)さんたちをまるで囚人(しゅうじん)(あつか)うかのように(くる)しめた人たちは(ひど)いと、(はじ)めは他人事(ひとごと)のように(おも)いました。でも、人間(にんげん)(よわ)立場(たちば)(ひと)差別(さべつ)してしまう罪人(つみびと)で、自分(じぶん)もいつ(おな)じことをしてしまうかわからない(もの)だと(まな)びました。

イエス(さま)がどのような(かた)だったかを(かんが)えると、ツァラアトの人をご自分の()()れて()やされたり、社会(しゃかい)(ひく)くされ、(しいた)げられている人と(まじ)わられたり、すべての人を(おな)じように(あい)されていたことがわかります。

クリスチャンとして、またイエス様に(なら)う者として、(たす)けを必要(ひつよう)としている、(くる)しんでいる人々に()れていくものとなりたいです。

(植野(うえの)(かな)())