弟子訓練の課題に、共通ディボーションの箇所での分かち合いがあります。
ある時の箇所はマタイ4:1-11でした。
イエス様は聖霊に荒野へと導かれ、40日もの間、飲まず食わずの後、悪魔によって試みにあわれました。しかし、その全ての誘惑・試みに対し、神の御言葉で勝利されました。
ある姉妹が、「ここで勝利できなければ、おそらく十字架につくことはできなかったのではないか」というようなことを言っておられるのを聞き、胸が大きく打ち震えました。そのとき私は、エバの罪を覆うようなイエス様の姿に深い憐れみと愛を感じていたのです。
まことに主は、罪を贖うべく十字架にかかるために、神としての在りかたを捨てて、ただ私たちを愛するがゆえにこの世に下ってこられたのだということが、胸に突き刺さるように迫ってきたのです。そして、復活の御業を思うとき、ただただ、感謝と賛美の言葉だけが胸に溢れました。
主イエスは、的外れに生きてきた私の全ての罪と汚れをいっしょに十字架につけてくださいました。まことに、私の「古い自分」も主と共に十字架上で死んだのです。そして、御言葉の通りに、3日後、死を打ち破りよみがえってくださいました。この復活の主、勝利の主の御言葉が、私のような者に豊かに与えられている奇跡を感謝せずにはいられません。御言葉が武具となり、備えとなります。そして今、永遠に滅ぶはずだった私が、今や福音の種を蒔く、平和を生み出す神の子として歩めるのです。
自己満足を追い求める者から、主の愛によって神の国と神の義を求める者へと変えられました。熱心に悔い改め続けて、主の憐れみによって何度も赦されて、そうして一歩一歩、愛するイエス様に似ていくことができる、そんな恵みの道を歩める私は幸せ者です。
今日は復活祭です。戸の外から叩く主の声を聞いて、その戸を開き、主をお招きして主と共に食事をする(黙3:20)喜びを味わう人が、どうか、1人でも多く起こされますように。 (平山優海)