主がアブラハムと結ばれた祝福の契約は、イサクに受け継がれ、イサクには男の双子が生まれました。兄エサウは「パンとレンズ豆の煮物」と引き替えに「長子の権利」を弟ヤコブに売ってしまいました。ヤコブはエサウの長子権だけでなく祝福もだまし取り、命をねらわれて故郷を逃亡しました。20年の時を経て、ヤコブとエサウは抱き合い、泣き合って和解しますが、2人が分かれて過ごした期間の歩みは、全く違ったものでした。
和解の際に、ヤコブが贈り物をしようとすると、エサウは「弟よ。私はたくさんに持っている。あなたのものは、あなたのものにしておきなさい」と答えました。ヤコブがしきりにすすめたので、最終的には受け取りましたが、エサウは財産もあり、人生に満足しているのか、長子権・祝福を奪われたことを問題にする様子はありませんでした。20年前と変わらず、この世的な事柄に心がいっぱいで、最も大切なものを軽視しています。彼は3人の異教の女たちと結婚し、子孫であるエドム人はイスラエルと敵対する民族となりました。
一方、ヤコブは故郷を離れて過ごした20年間、苦難の中で神様がともにおられることを知る体験を何度も重ねました。母の兄ラバンの元に身を寄せましたが、ラバンに欺かれ、何度も報酬を変えられ、多くの悩みと忍耐の歳月を過ごしました。
神の国を受け継ぐ者に対し、神様はご自身の約束を果たすべく、苦難を通してふさわしい者に成長させて下さるのだと思わされます。
日々の生活には大小さまざまな選択と決断が連続します。自分の肉の欲することを選びたいという思いや、まつわりつく罪を捨てて、神様の御心を求め、従う決断をしたいと願います。私たちが全てを捧げて神様の祝福の道を歩むならば、周囲の方々に真実の神様を知っていただける日がやがて訪れます。
「異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行いを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります」(ペテロの手紙第一2:12)。(植野愛)