教会塾で5月に「菖蒲園」に行ったときのことです。いろいろな種類の菖蒲が見事に咲いているところを見て回り、水辺にいるおたまじゃくし、あめんぼ、トンボ、ザリガニ、カモなどにひととおりちょっかいを出してから、園の入り口に戻ってきました。そのとき、受付にいた人がご厚意で、生徒たちに東村山のキャラクター「ひがっしー」のシールを、1枚ずつくださいました。
ひとりの生徒が、シールをもらった後に再び受付に行って、「家族のためにもう1枚ほしい」と言いました。受付の人は、またご厚意で、シールをくださいました。
それから、同じ子がまた、「もうひとりの家族のためにもう1枚ほしい」と受付の人に言いにいきました。受付の人はくれそうになりましたが、周りの人に「もうそれくらいにしといたほうがいいんじゃないの」と言われて、3枚目は断念しました。でも、受付の人も、周りの人も、なんだか楽しい気持ちで笑いました。
このほほえましいできごとですが、妙に心に残りました。ほしければ「ほしい」とすぐに言いにいくところとか、自分の愛する他の人のためにも「ほしいです」と言って何度ももらいにいく健気さですね。そして、神様に祈るときも、こんなふうでいいんだなと思いました。
イエスさまは地上で活動していたとき、人々が「ほしいです」と願うその行為の中に信仰を認めていました。しつこく願い続けるスロ・フェニキヤの女を、主は嫌がられるどころか、大絶賛されました。大騒ぎして目をあけてくださいと言いにくる盲人たちとか、屋根をはがしてまで中風の人を癒してもらおうとする友人たちとか…。
神の国のことを子どもから学ぶことがよくあります。ほしければ主に願って祈ろう、他の人のぶんの祝福もほしければそのまま「ほしいです」と言おう、何度ももらっていても、さらにほしければ、「またほしいです」と言おう、と思いました。
マタイ9:29「そこで、イエスは彼らの目にさわって、『あなたがたの信仰のとおりになれ』と言われた」。信仰が大好きなイエスさまに、楽しい気持ちになってもらえるような、子どものような信頼を持ちたいです。(新田優子)