神様はどのようなお方か、私たちはどのようにして知るのでしょうか?
まずは、みことばから知ることができます。他にも、主から与えられた祝福、自然などからも想像することができます。そして、それらから受けるイメージもまた、みことばに結びついているように思います。例えば、完全さです。人生において、「なぜ今このようなことが」と思えることが起こりますが、後に祝福を見出せることがあります。「神、その道は完全」(詩篇18篇30節)
最近私は、特に人から神様の姿を想像することを知りました。クリスチャンでない方からも学べます。すべての人が神様の似姿に創られているからです。イエス様を信じていなくても、一際優れた性質を持つ方々がいて、その良い性質に圧倒されることもあります。
良い性質が現れている人々を見る時、反対に自分はどう見られているのだろうかと思います。自分は彼らと違うということを示すことができるのかと気持ちが下がりかけます。
けれども、発想を換えると、彼らを通して主のすばらしさを思う練習になります。人の良い性質を見る時、主は、人よりももっと良い方であることがわかります。良い性質は、謙遜、誠実、愛などなど。加えて、そのような性質を豊かに持つ人々の中に居ると、自分もそうなりたいと思いますし、実際に良い影響を受けることができます。
与えられた人々を感謝し、彼らを贈り物として受け取ることができれば素晴らしいなと思います。そして、たとえ自分の現状にがっかりしても、私はキリストの旗を持つ者であることを思い出す機会にしたいです。自分の力では無理だと思うとき、主のみ力に頼り、主のみこころに従うことができると思います。「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。」(コリント人への手紙第一13章4~6節)(松田七海)