皆さんのお祈りと祝福の中ですくすく育ったお腹の赤ちゃんはもう生まれて6ヶ月になりました。新婚の時とはまた違う、大変だけど楽しい生活を私たち夫婦は過ごしています。
実は日頃福音について考える時、このような疑問を持ったことがあります。
よく「神様が私たち罪人のために愛する一人子を十字架につけられた・・・」という表現を使いますが、それが本当に神様にとって難しい決断だったのかな、という疑問でした。本当に身勝手ですが、「十字架の苦しみなんて一瞬だし、どうせ3日後復活されるし。」と思ったりしたこともあります。
しかし、子供を産んでみたら、それがどれほど傲慢な考えだったのかがわかりました。初めての予防接種の時、痛くて号泣する息子をあやしながら自分も泣きそうになりました。この経験が辛くて2番目の予防接種はなかなか行く気になりませんでした。(2番目からはすぐ泣き止んだので大丈夫でした!)たかが予防接種でもこんなに痛そうな姿を見て心が痛いのに、いくら結果オーライってわかっていても子供が苦しむことを見て耐えられる親っているのかなと。しかも、3日は人間にとっては短いと感じるかもしれないけど、そもそも神様とイエス様は永遠に一度も離れたことがなかったのです。それが3日であれ300年であれ、神様にとっては「分離された」こと自体がものすごい苦痛だったのではないかなと。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネの福音書3章16節)
親になってみてから神様がどのような思いでイエス様をこの世に送られたのかがほんの少しわかる気がしました。その決断がどれほど難しかったのか、
でも罪を解決されるために惜しまずイエス様を送ってくださるほど私たちを愛してくださったということ。 飽きるほど聞いたみことばだけど、十字架を軽く、当たり前だと思ってはいけない。また神様の決断が決して簡単なものではなかったということをこれからも忘れず生きていきたいと思います。(キム・ウンソン)