香りの捧げもの

「五感のうち、人間の記憶に最も強く結びついているのは嗅覚である」ということを聞いたことがあります。確かに私自身、道を歩いているときなど、ふと漂ってきた匂いを嗅いで、その香りから昔の出来事、また、その時の気持ちを思い出すことがあります。

聖書には、祈りが香りとして表されることがあります。

私の祈りが 御前への香として

手を上げる祈りが 夕べのささげものとして

立ち上りますように(詩篇141:2)

人は神様に似せて造られました。ですから、神様の記憶に最も強く結びついているのも、また香りなのではないでしょうか。神様は、ご自分の契約を思い起こすために、香り・祈りを選ばれたと思います。律法で定められたいけにえは、香りとともにささげられています。しかし、そのいけにえも香りも、十分ではなく、人の罪を完全に贖うことはできませんでした。

キリストは、救いの契約(新しい契約)のために、ご自身をいけにえとし、香りをささげられました。

キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました(エペソ5:2)。

それが十字架です。キリストの贖いは完全であり、御前にいつまでも覚えられています。それゆえキリストを信じて主のものとされた者たちは、キリストによっていつでも御前に覚えられています。私たち人間の曖昧な記憶のようではなく、はっきりと確かな事実が、キリストを通して覚えられているのです。そして聖徒たちもまた、香りとなります。内にキリストがおられるからです。

神はいつでも、私たちをキリストによる凱旋の行列に加え、私たちを通してキリストを知る知識の香りを、いたるところで放ってくださいます(第二コリント2:14)。

キリストのかぐわしさが溢れるクリスマスとなりますように。(松田七海)