2024年1月1日午後4時10分ごろ、能登地方で最大震度7の地震が発生し、大津波警報が発令されました。これを書いている時点で、死者92人、安否不明242人。石川県輪島市の坂口茂市長は5日、倒壊した建物などの下敷きになっている人がまだ100人以上いるという見方を示しています。ひとりでも多くの人が助かることを強く願います。
私は東日本大震災のときに宮城県に住んでいました。その時を振り返って思うことがいくつかあります。
①被災地の教会が、他の被災者の助けに回るのは、特に発生直後はかなり難しいと感じました。
地震発生から1週間は特に、自分の避難と、家族、教会員、近所の人、職場の安否確認で手いっぱいでした。安否確認がもし無事に終わっても、自分たちの家、近所、教会、職場の片付けがやはり先になりました。
②緊急の物資支援は、災害発生から数週間が特にありがたかったです。
発生から1週間くらいが、最も物資の不足するときでした。楽観視してはなりませんが、数週間以降は、物流が徐々に回復するので、「本当に必要なところに届いているか」がより大事になったことを思い出します。
③その後の長期的な関わりが、地域教会の役に立てるところだと思いました。
緊急支援が終わったあとは、避難所生活の援助、その後は仮設住宅に対する援助(特に、心の助け)になるでしょう。家を失った場合は、仮設生活が数年にわたるかもしれません。教会が、この時期に祈りながら、被災者の隣人になっていくことができればと願います。(←このことは、私自身は、すぐ隣に多くの仮設住宅があっても、なかなかできなかったことを後悔しています。)
④霊的な助け(メッセージをしてくださるなど)は、ありがたかったです。どうしても目の前のことでいっぱいいっぱいになってしまっていましたので、外部の方が来られてみことばに目を向けさせてくださるのは力になりました。特に、無牧の教会にとっては、霊的な助けは大事だと思います。
今、東京にある教会として何ができるのか、祈っていきます。(新田優子)