2月8日のきしゃぽっぽに、飛び入り参加がありました。表に出しているきしゃぽっぽの看板を、立ち止まって見ていた親子がいたので声をかけたところ、何となく見覚えのあるお顔。時間があればどうぞ~とお誘いしたところ、実は4年前にも来たことがあるんです、とお母さんが言われました。その親子はGCCの近くにお住まいで、4年前は1歳前後の長女をつれて参加してくれたとのこと。私の四男と同じくらいの月齢だったので話が盛り上がったこと、その時は子供がずっと泣きっ放しだったことを話してくれました。あ~言われてみればそんな親子がいたなぁと記憶を辿り、覚えてくれていたことに嬉しくなりました。今回一緒に来てくれた次女の子は2歳になったばかり。時折笑顔を見せながら、終始静かで、一体ここで何が行われているのだろう?といった様子で参加してくれました。穏やかで、楽しい時間が過ぎていきました。
きしゃぽっぽの数日前に、母が大腿骨骨折で入院し、手術というハプニングが起こり、そこから派生してくる対応しなければならない色々なことに、心身共に少し疲れを覚えてしまった私。今週のきしゃぽっぽは参加者も少なそうだし、お休みにしてしまおうか、、、という思いもよぎりました。そんな中参加したエクレシアで、「困難な状況の中で、サタンの声が聞こえたことがありますか」という質問があり、ハッとしました。この弱気な思いは、主の御心ではないと。同時に、こんな時だからこそ、主が何かしてくれる気がする、という漠然とした、でも確かな期待がありました。そしてきしゃぽっぽ当日、看板の前で立ち止まっている親子の姿が見えた時、やっぱりここに主の恵みが、憐れみが用意されていたー!!!!!と嬉しくなりました。そして、この場所で、このミニストリーを継続する恵みを思いました。「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、しっかりやりなさい。」(Ⅱテモテ4:2)立ち返るべき御言葉、従うべき方の言葉が与えられていることに感謝して、これからも主の言葉を携えて歩む者でありたいと願います。(菅野幸)