去る5月13日はイスラエルの戦没者記念日でした。その記念式典がイスラエル大使館で行われるということで、以前、不思議なきっかけで、現イスラエル公使と知り合いになった夫が招待されました。妻も同伴可能とのことで、これは天がくださったチャンスだと思い、夫婦で出かけました。
SPが多数いる物々しい雰囲気に緊張しながら会場に入ると、貸出し用キッパも用意され、そこに集まったイスラエル人たち、ラビたち。一度にこんなにたくさんのイスラエル人を前にしたのは初めてでした。10月7日以来、犠牲になった人たちを覚え、ラビの祈りと聖書のみことばと共に、会はしめやかに進みました。イスラエルらしいなと思ったのは、犠牲となった数人の好きだった歌が紹介され、女性兵士二人がピアノと共に何曲か歌ったことです。戦争で友を失った悲しみや、苦難の中にもイスラエルは希望を見失わない、という切実な心情の込められた歌でした。
こうして、苦しみとか悲しみとか、やり場のない感情を歌にするという姿が、ダビデのそれと重なりました。ダビデが詩篇を歌うことができなかったら、きっと生き続けることができなかったのではないかと感じます。ダビデは選ばれた故、苦しみを受け、いのちを狙われる日々を過ごしました。でもその中で主に訴え、主に叫び、主を賛美しました。
式典のあと、ひとりのイスラエル人女性と話すことができました。彼女は、母方の祖先が何百年もイスラエルの地に住み続けている自分は、生粋のイスラエル人だと言いました。イスラエルをどう思っているか、と聞かれ、「神様に選ばれた民だから羨ましいけど、かわいそうだとも思う」と率直に答えました。すると26歳の彼女は頭を振って、「本当に神に選ばれたということ、なぜ?と私たち叫んでいる」と言うのです。 彼らの立場と気持ちを私は完全に理解できないけれども、一緒に立つことは選択できる。彼らの心の叫びにイエス様が答えてくださるように祈った夜でした。(きのつらユキ)