今は恵みの時(Ⅱコリント6:2)

今から10年前のこと、イスラエル旅行で親しくなったA牧師の教会を訪問しました。2年前に取得したという教会の建物は、2200坪の閑静な小高い丘の上にありました。300人は収容できる聖会堂と200人は入れる小会堂、広いエントランスホール、ゆったりした牧師質兼応接室、事務室のほかにも、何にでも使える数々の部屋、併設された牧師館、教育館、二間の茶室、そして牧師館には3LDKの客間もあり、至る所に空間が余っていました。

しかも、百人は泊まれる宿泊施設があり、大浴場、小浴場も整っていました。さらに、庭は校庭のように広く、ブランコなどの遊戯施設や東屋があり、果樹なども植えられ、大きな実をたくさんつけるという紅梅の巨木もありました。牧師館の庭は、茶室にふさわしい日本庭園です。この敷地に入る門もまさに豪邸の大門で、駐車スペースは100台とのことでした。説明を受けて見て回るだけで、45分かかりました。

 「先生は、まさに『一国一城の主(あるじ)』じゃないですか」と私が感嘆すると、「いえ、主(あるじ)は主(しゅ)です」というお答え。奥さんに、「こんなだだっ広いところにご家族3人じゃあ、寂しいでしょう」と、ちょっとヤッカミをぶつけると、「いいえぇ、ぜんぜ~ん、静かでいいですよ」。「でも、セキュリティは・・・」とさらにヤッカミを重ねると、「ここは天使に守られています」。

 実は、そこはもともと天理教の施設でした。土地代と総工費で23億円だったそうです。それを、何と1億で買い取ったというのです。教会員は主婦や若者中心の40人ほどでした。「なんで、そんなことが起こるんですか」と、私のヤッカミが頂点に達すると、A牧師はひとこと、「主の恵みです」。天理教が手放しても、調整区域で、宗教施設のみという条件があったので、一般の買い手がつかず、ついにそこまで値が下がったそうです。

「日本の教会にも、こうした恵みが広がっていきます。その時が来ています」。というA牧師の預言的な言葉に、私もそんな気がしてきました。

(川端光生)