GCC信徒への手紙(一)

福岡県の糸島市に移住してから約1ヶ月半が過ぎました。雄大な山と美しい海に囲まれた豊かな自然環境、海の幸と山の幸に恵まれた食生活、駅徒歩1分の自宅、カーテンを開けると眼下に広がる美しい田園風景、移住者に寛容でフレンドリーな地元の方々、古代日本史好きには堪らない遺跡の数々、行きも帰りも確実に座れる通勤電車…と充実した生活に感謝の毎日です。ただその一方で信仰生活では試行錯誤の日々が続いています。日曜日には、福岡と佐賀の県境にある脊振(せふり)山脈の山深い峠道を1時間以上かけて車を転がして通過し、はるばる筑後川を越えて筑紫平野にある教会を訪ねることもあります。

そんな中、主日の礼拝と説教、教会の雰囲気、賛美、聖書の学び、兄弟姉妹との交わり、そしてイスラエルの事など様々な面で、私たちがGCCでいかに恵まれた環境にいたのか改めて気付かされています。

時に霊的に落ち込む事もありますがそんな時には、「あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」(マタイの福音書18章19-20節)という御言葉に、妻とともに励まされています。    

そして私たちには、住む所は離れていても共に祈り合う仲間もいます。

ですから、あなたがたは癒やされるために、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、働くと大きな力があります。」(ヤコブの手紙5章16節)  

一年以上に及ぶ私たちの祈りに主が応答して下さり、福岡への道が開かれたように、この地で私たちの信仰生活が守られるように、毎日御言葉と共に祈っています。いつ何処にいても祈りと御言葉の力強さを感じます。

心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる。」(箴言3章5-6節) GCCの精神を受け継いだ私たちが糸島の地で何が出来るのか。祈りながら少しずつですが前に進み始めています。(北野文裕)