最近始めたことが2つあります。1つはピアノ、1つはヘブライ語の勉強。娘が2年前から教わっていたピアノ、3年生になり授業数が増え帰宅が遅くなり、今までのレッスンに間に合わない、どうしよう?先生に来てもらう時間をずらしてもらうか…と考えていて浮かんだ「私がそれまで教われば良いのでは!?」というナイスアイディア。また、学びたかった寛海真亜沙のヘブライ語初級講座は、週の中で一番時間が取りやすい日時が提示され、こりゃやるしかない!と飛び込みました。
小学生の頃、練習が嫌すぎて2年程で挫折したピアノ。30年以上ぶりに再開した今回は、コード弾きという馴染みのない弾き方を教わり、苦戦する日々。そんな中でも、は!と感覚で掴めて弾けたり、急にスムーズに指が動いたり、回を重ねるごとに小さな喜びがあります。
そしてヘブライ語。講義2回目位にして「じゃあ、順番に単語を読んでいきましょう」と指名し始める真亜沙。「は?!こんだけの知識でどうやって読めと!?」と混乱しつつ、母音と子音、教わったことを当てはめつつ、1文字1文字追っていくと…読めた!ヘブライ語が、読めたー!ものすごい感動でした。学び、理解するという喜びを、この歳になって味わい、感動までするとは。その講座の仲間は私より年上の方々が殆ど。いくつになっても学ぶ、学べるという姿にも、感銘を受け励まされます。学ぶということに遅いということはないのだと。
ヘブライ語の深みを感じられるのも楽しみのひとつです。先日教わった「נֶפֶשׁ」(ネフェッシュ)は「のど(喉)」という意味と共に「魂」という意味があると。日本だと「魂」というと浮遊してるような漠然としたイメージですが、ヘブライ語では、のどに魂、命そのものがあると。のどは息をする、賛美する、祈る声を出す器官である、のどを潤すことは魂を潤すこと…と聞いた時、雷のように「なるほど!」がビリリ、ストンと来ました。
日曜に教会に荷物全てを忘れ帰宅してしまう(持ち帰ったのは恵みのみ)ような、恐ろしく忘れっぽい自分は、忘れないための努力が人一倍必要ですが、この、学ぶ喜び(&脳みそ活性化)は生涯続けたいと思う今日この頃です。(津山祐子)