失ったものがたとえ見つからなくても

次男が翌朝から林間学校のため、サマーキャンプ2日目の夜に帰路についた私たち親子3人。荷物も詰め終え、オリーブの里をさあ出るぞ、という段階で放たれた娘の「矯正がない」という言葉。歯列矯正の器具がないと…?!置き忘れた可能性のある場所を思い浮かべ、次の瞬間血の気が引きました。「BBQ前にティッシュに包みテーブルに置いて…捨てられた可能性」。私に似てうっかり者の娘、以前佐久のホテルの食堂でもトレーに乗せっぱなしで廃棄未遂があったのです。祈りながらダッシュで戻り、それを発見したあの朝、プレイバック。

既に暗いBBQ場を確認に行きましたが、もちろんゴミひとつない綺麗な状態。生ゴミも混ざったゴミ袋を漁る気力もなく、諦めかけつつも「どうか見つかりますように」と祈り、姉妹らの祈りと共に見送られ出発しました。

矯正器具、上下2つで私のお給料1ヶ月分程。夜道を走りながら、「あぁ…」という嘆き&今までも祈って様々な物を見つけてきたから「必ず見つかる」という確信&「怪我なく過ごせて命が守られただけでも感謝だ、命あることに比べたら何てことない」という気持ち、が混ざる状態で、キャンプ中の子ども達の賛美や賛美フェスの動画を大音量で聴きながら運転していると、平安の方が大きくなっていきました。

休憩のためサービスエリアに入った際、キャンプ場に残っている長男から1時間程前にメッセージが届いていたのに気付きました。「あったよ」という一言と、無造作にティッシュに包まれた矯正器具の写真。BBQ前、ミルクのお姉さん達の部屋でのオヤツタイムに放置してしまったようです。歓声と共に、またも神様は祈りを聞いてくださった!と、感謝が溢れ、寝ていた娘を起こし共に喜びました。 すでに見つかっていたことも知らず、様々な感情の波の1時間半程で得た学び、それは失ったものをつい金銭に換算してしまいがちだけど、神様から与えられているもの、受けてきた恵みは到底お金に換算できるものではない、今あるものに目を留めれば、感謝にすら変わる、ということ。だからきっとこの先何かを失くしてもきっと大丈夫…!(もちろん見つかるようにも祈りますが!)(津山祐子)