能登のボランティアに行きました。長時間の移動、慣れない場所での宿泊、腰痛、乗り物酔い、体力的に大丈夫か、など不安要素はいくらでもありました。しかしこれはやらなければ、という強い思いが与えられて行くことができました。直前の主日メッセージでも「できない理由を見つけることをやめる」と語られ、後押しされました。
初日の仕事は、地震で被災した老舗の温泉ホテルから、まだ使える食器類を運び出す、というものでした。食器が保管されている三階はかなり傾いており、歩いただけで平衡感覚が狂う感じがします。埃だらけになった食器を次々にコンテナに入れ、カートに載せ、建物の外に積み上げていきます。まるで「滅ぼされるはずの怒りの器」から、割れずに残った「あわれみの器」を選び出す作業だなと、ちょうど読んでいたローマ書9章と重なりました。私は異邦人の中から選び出されたあわれみの器、その日集められたクリスチャンのボランティアたちもみなそうです。神によって備えられたあわれみの器たちの連携プレーによって、作業はとてもスムーズに進みました。初めて会った人たちなのに、不思議な一体感と爽快感がありました。
翌日は輪島の水害にあったお宅の泥出し作業。こちらもまた前日とは違う初めて同士での共同作業でしたが、チームワークによって終了しました。一日の仕事達成後のみんなの笑顔、そして依頼主の方が最後まで手を振って見送ってくれたことが忘れられません。
教団も教派も越えて、同胞を助けるという思いで一つになり、実際に体を動かして働く、という体験は神さまが与えてくださった恵みでした。これがこれからの日本の教会の在り方ではないかと思いました。出て行ったことで学ぶことができたのです。
イエス様はすぐに来られるのだから、どちらが正しい、など論議している時ではありません。内でも外でも一つになって働くなら、主が喜びを与え、幾倍にも用いてくださると信じます。(きのつらユキ)