「奴隷たちよ。すべてのことについて、地上の主人に従いなさい。人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方ではなく、主を恐れかしこみつつ、真心から従いなさい。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。あなたがたは、主から報いとして、御国を相続させていただくことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです」(コロサイ3:22-25)。
これを書いたパウロは、奴隷制度を認めているかのようです。しかし、実は、奴隷状態からの解放を解いているのです。
この世の身分が奴隷であっても、「人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方ではなく、主を恐れかしこみつつ、真心から従」うのであれば、それはもう奴隷状態ではありません。奴隷とは、強制されていやいや働く者のことです。そこには喜びはありません。能率も上がりません。
私たちは自由人だと言いながら、実は「奴隷」になっているというようなことはないでしょうか。私たちはしたくなくても、どうしてもしなければならないことがあります。それを不承不承、不平を言いながらしているなら、それは奴隷状態です。自由人は、どうせしなければならないことならば、うわべでではなく、心からするのです。そうすれば苦痛だと思われたことでも、苦痛を感じることなく、早く成し遂げることができます。
私たちは神の国の義と平和と聖霊による力を求めています。しかし、神の国はすでに私たちの間に来ています。その現実をどれだけ味わえるかは、私たちの信仰にかかっています。そして、その信仰は、私たちがキリストに仕える真摯さ、誠実さに表れます。
今日なすべきことは面倒がらずに喜んで行いましょう。それが自由人です。それが神の国に生きることです。奴隷のように行っているなら、いつまでも神の国の喜びは味わえません。