見つけた喜び

joy
「NHKドキュメント72時間」という番組で「名古屋駅の忘れ物窓口」が取り上げられていました。忘れ物の取り扱い数は年間16万点。人間は忘れ物する生き物のようです。
一番多いのは傘や手袋や小銭入れなどです。そんな小物でも、持ち主にはとても大切な思い出の品だったりします。それを見つけたときの表情はとても印象的でした。
母に買ってもらった大事な傘を、「特徴のある模様なんです」と多くの傘の束から探し出した男子高校生の嬉しそうな顔。夫から贈られたミッキーマウスの小銭入れを見つけてはしゃぐ主婦。大事な友人からのプレゼントの手袋片方を渡されて喜ぶ女性。恋人にもらったバッグがあって、中身はすべて失くしたのに安堵する女性の顔。妹に付き添われてやって来て、大事なカギの束を見つけた中学生のお兄ちゃんのはにかんだ顔。妹は早速、携帯で母親に知らせていました。
失くした物を探して探して見つけたときの笑顔は、見ているだけでも感動させます。一緒に嬉しくなってきます。膨大な遺失物は、膨大な遺失物の中に埋もれたまま、持ち主が見つからなければ、いずれ処分されることになります。しかし、持ち主の手に返れば、生き返るのです。係りの女性は「落とし物が主人を待っています」とカメラに呼びかけていました。見つけた喜び、見つけ出された喜び。
人も創造主なる神に反逆して、失われたものになりました。失われたままでは、役に立たず、死んでいるのも同然です。しかし、キリストは失われた者を捜すために、天から来られました。キリストは「失われていた人」であるザアカイを見つけ出されたときには、こう宣言されました。「人の子(キリスト)は、失われた人を捜して救うために来たのです」(ルカ 19:10)。失われた人が主の御手に返れば、永遠に生きます。主の役に立つ者となります。
神の国は、見つける喜び、見つけ出される喜びをともに分かち合うところです。