神の国の文化「愛」(7) 「愛は無私、自制」(Ⅰコリント13章)

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6.愛は自分の利益を求めない
昔、「くれない族」と呼ばれる人たちがいました。紅色とは関係ありません。「親が(私の願うこと)をしてくれない」「学校がしてくれない」「会社がしてくれない」「夫(妻)がしてくれない」「国がしてくれない」「子どもがしてくれない」、「だから、私、こんなに不幸せなの」と不平を言いながら年老いていく(いきそうな)人たちのことです。そういう人は今の世にも相変わらず存在しています。
してもらうことで幸せになろうと考えている人が幸せになるのは至難です。その考えを変えなければ、本当の幸せや喜びは知らないまま人生を終えることになるでしょう。人間は、人に与えるものを持ち、それを人に与えて喜んでもらうことで、はじめて心が満たされるように造られているのです。
私たちクリスチャンは信仰によるアブラハムの子孫であり、アブラハム契約を受け継いでいます。アブラハム契約とは、主がアブラハムの子孫を豊かに祝福されるので、その祝福で周囲の人々や諸国民を祝福しなさいというものです(創世記12:1-3)。私たちはキリストによって新しく造られ、「祝福する者」となりました。「祝福する者」は祝福することで心に喜びが生じます。主の祝福を自分だけのものにしていたら、いつまでたっても心は満たされません。それゆえ、「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒 20:35)と教えられているのです。
キリストの愛は、与えることを喜びとする愛です。キリストは御自身のすべてを私たち与えてくださいました。そのキリストをいただいて、今日の私たちの幸せがあります。そのキリストの愛を人に与えることで、私たちの幸せはさらに深まります。自分の利益を求めず与える愛は革命を起こします。