神の国の文化「愛」(9) 「愛は人のした悪を思わず」(Ⅰコリ13:5)

8.愛は、人のした悪を思わない
愛とは赦しです。人の罪の忘却です。
しかし、それは無理です。ほとんど不可能です。人から悪いことをされるだけでも苦痛なのに、しかもそれを赦せ、忘れろとは、さらなる苦しみです。クリスチャンになると、倍の苦しみを負わされるのでしょうか・・・と言いたくなりませんか。
なぜ、人のした悪を、復讐せずに忘れなければならないのでしょうか。
それは、そのように苦しむことで、私たちの罪のために十字架にかかられたキリストの愛と恵みの深さを思い知るためです。私たちが神の復讐を受けることなく罪が赦されるために、キリストがあらゆる心の苦しみと屈辱、あらゆる体の苦痛を、私たちに代わって背負ってくださったことを忘れないためです。
もう一つは、いつまでも人のした悪を覚えていれば、苦しむのは自分だけだからです。もし悔しくて復讐するなら、相手を苦しめることができたとしても、それで終わることはありません。クリスチャンならそれですっきりするはずはありませんし、相手も「復讐してくれてありがとう」と言うことはまずありません。逆に憎み返されるでしょう。
人のした悪を忘却することは人間にはできないことです。しかし、少なくとも復讐しないでいることはできるでしょう。相手を責めたり復讐したりしなければ、少なくとも主はあなたを喜んでくださいます。主に喜ばれればいいと考えるのも信仰です。
赦しについては、昨年の9月21日から10月12月までの週報ウラ「キリノ大統領」と「ハヨンジョ牧師」の記事をお読みください。「加害者は、自分の罪を自分で赦すことはできませんが、被害者は加害者の同意なく、相手を一方的に赦す権利を持っています。」「新約聖書の教えは、被害者がその強力な権利を行使するように求めています」と書かれています。