人生はリスクを負うこと

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「噴火直前の火口に飛び込むのと、滝壷に飛び込むのとでは、どちらのほうがリスク(危険度)が高いですか」と質問されたれら、たいていの人は「火口に飛び込む」のほうを選ぶでしょう。しかし、実は「滝壷に飛び込む」が正しい答えです。なぜか。火口に落ち込んだら「必ず死ぬ」からです。助かる可能性がないことをリスクとは言いません。成功する可能性も失敗する可能性もあってはじめて、リスクを冒すという表現が成り立ちます。
「パスカルの賭け」という考え方があります。
神が存在するかどうか、人間理性にはわかりません。それで、信じるか信じないかの「賭け」になります。もし聖書が教えるとおり神が存在するなら、神を信じた人は「永遠のいのち」を得ます。しかし、「神はいない」に賭けた人は、神の裁きを受け永遠の滅びに投げ込まれます。つまり「救われる可能性はゼロ」です。では、実は神はいなかったとしましょう。そのときは、神の存在を信じた人も信じなかった人も「救われる可能性はゼロ」です。神を信じない人は、いずれにせよ、救われる可能性はゼロであり、信じる人だけに救われる可能性が残されます。
私たちは不確実な世界に存在しています。それゆえ人生とは、リスクを負って生きることを意味します。そして、リスクを負って神を信じる決断だけが「永遠に生きる」道を開きます。神を信じないという賭けは、何のリスクも負わないで、ただ「永遠の死」を選ぶことです。ある学者は、「神が存在しないことに賭けた方が充実した一生を送ることができる」と言います。しかし、神の存在を信じる人生の豊かさを体験していないので、そう言うのです。信じないことに人生のすべてを賭けても待っているのは敗北、ただの虚無です。それが、不確実な世界で唯一確実なことです。
私は若いときリスクを負ってキリストを信じました。しかし、信じた後、それはリスクではなく、確実な救いであることをキリストによって保証されました。  不思議な信仰のパラドックスです。
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