マルコ8章34節

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」。キリストを自分の人生の脇役にしてはいませんか。あなたが主人公の座から降り、キリストにその座を譲らないかぎり、ダイナミックな人生は開かれません。この世は、自分、自分、自分です。しかし主にとっては、自分を捨てた人こそが、思う通りに用いやすく、生かしやすいのです。