悲しみの日を喜びに

埼玉県吉川市の中学校で、恒例の「卒業お祝い献立」が、今年は3月11日と重なったことで、教職員から「震災のあった日にお祝いなんて非常識」という声が一部で上がり、「食材を既に発注して準備を整えた」市教委は困惑している、という報道がありました。
5年前の震災直後、首都圏は祭りやイベントを自粛し、駅構内や商業施設などでは照明を落として、東北への哀悼を表しました。しかし、被災地からは「東京は日本の中心です。一緒に沈み込んで日本を暗くせず、明るくしてください」という声が届きました。足がけがをして胃袋が同情し、食べることを自粛したら、足は困ります。食べて栄養をつけて欲しいのです。歯が痛むとき、足が一緒に悲しんで歩くこと止めたら、歯はうめきます。一緒に悲しんでくれるより、歯医者に連れて行って欲しいのです。そうして、共に喜べるようにして欲しいということです。
聖書は、「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」(ロマ 12:15)と教えます。「泣く者と一緒に泣く」ことは大切です。私たちは3月11日に限らず、被災地に思いを馳せて祈ります。しかし、「喜ぶ者と一緒に喜ぶ」ことを忘れてはなりません。ただ一緒に泣くだけでは、痛む者を喜びに変えられません。「神の国とその義とを第一に求めなさい」(マタイ6:33)と主は命じられます。「神の国」とは、どんなときでもいつも喜び、すべての事に感謝できる恵みの世界です。「神の国」が来るために、私たちは被災地のために祈り支援します。喜びを自粛しても神の国は来ません。
ところで、ネットに、「震災の日に祝い事を自粛するのに、キリストの死の日はドンちゃん騒ぎしていいのか」という書き込みがあったそうです。しかし、主が十字架にかかられた金曜日(今年は3月25日)は、グッドフライデー(素晴らしき金曜日)です。二日後の復活という勝利が、十字架の金曜日を喜びの日に変えました。悲しみの日を喜びに変えていくこと、それが「神の国」の働きです。