クリスチャンホームにおいて、「信仰」よりも、「神の国」「福音」を受け継ぐことを優先すべきだと、私は考えます。「神の国」「福音」の喜びが分かれば、信仰も育ってきます。私は貧しい田舎の育ちで、EPA、ビタミンD、鉄分・・・など気にしたことはありませんが、親も元気に長生きし、私も体格よく育ちました。ただ、食材と料理を代々継承してきました。今日、バランスのとれた美味しい料理を食べれば、EPA、ビタミン、食物繊維を摂れなどと言わずとも、おのずから摂取できるのです。クリスチャンライフも同じです。
かつて私は、家庭で信仰継承を第一にして来ました。そのために子どもたちに語ることは、「礼拝を守れ」「祈れ」「聖書を読め」「聖句を覚えよ」「賛美せよ」、つまり、信仰、信仰でした。しかし、罪がすべて赦されている平安、礼拝や賛美の喜び、祈りの力、主の臨在の恵みを味わわせることは怠ってきたように思います。いわば、野球の面白さを体験させないまま、「素振り千回」「ノック千本」「腕立て伏せ百回」「腹筋百回」と命じ続けるようなものです。子供のひとりは教会から離れたままです。彼はキリスト信仰の基本はわかっていると思いますが、神の国の祝福は十分知らないままのようです。親の痛みです。
言い訳ですが、私自身も、信仰を持った十代から、上の世代にそのように「しつけ」られてきました。誰一人として、「アブラハム契約」の祝福を受け継ぐように教えてくれませんでした。最初のころ、礼拝、賛美、聖書の学び、祈りは義務であって喜びとはならず、むしろ苦痛でした。しかし、信仰を確立しなければならないという一心で、神学校にまで行って苦闘した次第です。
福音とは「良い知らせ」です。「愛しなさい」「赦しなさい」「信じなさい」は、別に良い知らせではありません。「愛されている」「赦されている」「神の国が来ている」「永遠のいのちが保証される」が良い知らせです。継承させるのは福音です。「7度を70倍するまで赦せ」の前に、「1万タラント」が赦されていることを知らせるのが福音宣教です。神の国の祝福と恵みに圧倒された人は信じます。そして礼拝、賛美、祈り、御言葉を喜びとするようになります。