相次ぐ熊本の地震で、テレビ報道にしばし釘付けになりました。熊本市内とその周辺には、妻の実家(教会員A兄の御実家や御親戚)や、知人やその教会があります。最初の地震の次の夜から、妻の家族も車の中で寝ているとのことです。
しかし、不思議なことがあります。妻の実家は熊本市北区(植木町)なのですが、震度を知らせるテレビのテロップをじっと見ていても、北区は出てこないのです。西区、南区、東区や周辺の市町村は、震度6強や5強と表示されるのに、熊本市北区はまるで無視されたかのようです。実は震度5程度でした。だから良かったといっているではありません。益城町の2教会は倒壊していますし、熊本市内にも全壊、損壊した教会がいくつかあります。知り合いの教会には連絡が付かない状態です。私の知人の牧師は益城町の救援に当たっています。ただ、北区だけが取り残されたように被害が小さいのが不思議なのです。
おそらく、北区は高台にあって地盤が固いのだろうと思われます。北区は自然災害がほとんどない地区でもあります。九州の災害と言えば台風ですが、北区は大雨や土砂崩れ、洪水の被害にあったことがないそうです。
ところで、どんなことが起こっても、「揺れない、動かない」場所や人がいることは大切です。渦中にいる人に安心感を与えます。安全な逃げ場所、助け手となれます。それは、教会、そしてクリスチャンが、主から与えられている役割です。
「たとい、私に向かって陣営が張られても、私の心は恐れない。たとい、戦いが私に向かって起こっても、それにも、私は動じない」(詩 27:3)。私たちにはこの信仰が与えられています。「たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない」(イザ 54:10)と、保証される主が私たちと共におられるからです。動かないでいる人が、恐れ、揺れ動く人たちを助けることができます。今回もその役割が来ています。