主のことばや幻がまれな時代

少年サムエルの時代の霊的な状況は、「そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった」(Ⅰサムエル3:1)と記されています。
 現代も、「主の幻(ビジョン)」がまれな時代だと思います。主が直接、教会や個人に主のご計画を見せ、語りかけてくださったということはほとんど聞きません。それを受けたという人たちもいますが、自己中心的な願いであったり、自民族中心主義的な願望であったり、ご都合的、眉唾物だと思われる場合が多いのです。つまり、聖書の基準からは外れている「幻」です。
 ルツやハンナ、少年サムエルが生きた時代のイスラエルは、「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた」(士師記21:25)という状態にありました。箴言は、「幻がなければ、民はほしいままにふるまう」(29:18)と語ります。その時代その時代のための「主の幻」が必要なことは確かです。でなければ、みなが自分の思うがまま勝手に生き、混乱が生じるだけだからです。
では、ルツやハンナ、少年サムエルはどう生きたか。時代の風潮とは関係なく、主に誠実を尽くして暮らしました。主はそんな彼らに恵みを施し、彼らを通してご計画を進められました。予見者ハナニが、ユダの王アサにこう語っています。「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです」(Ⅱ歴代誌16:9)。主は、御心に適う人を探して祝福し、用いたいのです。そういう人になりたいと思いませんか。
主は、どんな時代にあっても、けっして眠ってはおられません。沈黙しておられるようでも、私たちの知らないところで働いておられます。神の国の祝福は用意されています。主は、日々、御言葉によって誠実を養っている人に語りかけ、ビジョンを見させてくださると信じます。