「しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました」(ヘブル11:16)
神は、信仰者のために天の故郷に「都」、永遠の都、新しいエルサレムを用意しておられます。キリスト以前の信仰者たちはその「都」に憧れていました。神はそんな「彼らの神と呼ばれることを恥となさいません」、いや誇りとされるのです。彼らの立派な功績のゆえに、彼らを誇りとされたというのではないのです。彼らが、神が用意された「都」を恋い慕うがゆえに、彼らを誇りとされたのです。
このことは、私たちについても同じです。私たちが「神の国とその義を第一に求める」がゆえに、私たちを誇りとされます。私たちの行いが立派ではなくても、神の国を恋い慕うがゆえに、誇りとしてくださるのです。
私たちは、自分の行いを見ていると、自分は神の国にふさわしくない、と思うことがあるかもしれません。ときには自分が惨めで、こんな自分がクリスチャンだなんて、神様に申し訳ないとおもうときもあるでしょう。しかし、それでも悔い改めて神の国を求めるなら、つまり、神のご支配の中にとどまっていたい、神の国の祝福を兄弟姉妹と共に喜びたいと願うなら、神はそんな私たちを恥とは思わず、いや誇りにして、受け入れてくださるのです。
これが神の恵みです。これがキリストの福音です。キリストが罪を十字架で贖ってくださったので、私たちは神の国を求めるだけで、その祝福にあずかることができます。
私たちは、神の国に人々を招き入れたいと願います。神の国の祝福を広げることを求めて祈ります。神は、その願いを喜び、また私たちを誇りにしてくださるのです。