被害者意識の解消

パリサイ人たちは互いに言った。「どうしたのだ。何一つうまくいっていない。見なさい。世はあげてあの人のあとについて行ってしまった」(ヨハネ12章19節)。
 「あの人」とはイエスさまのことです。パリサイ人たちは、自分たちが「何一つうまくいっていない」のは、イエスさまのせいだと主張するのです。パリサイ人たちは、どちらかといえば加害者なのですが、彼ら自身は被害者意識でいます。
 被害者意識を持つと、人は卑屈になり、自己防衛的、批判的、攻撃的になる傾向を強めます。被害者意識の強い人は、加害者を特定し、優位に立とうとします。いつの間にか、自分が正義になり、相手に何をしても赦されるかのように錯覚し始めます。そして、自分自身が加害者に転じていることに気づかないのです。パリサイ人がイエスさまに対し自己防衛的、批判的、攻撃的になり、イエスさまを死刑へと追い込んでいく過程は、「被害者意識」でも説明できそうです。
民族が被害者意識をもつと、正しい愛国心ではなくナショナリズム的傾向を強め、他国・他民族に対して懐疑的になり、国民はヒステリックになっていきます。日本が太平洋戦争へと突入していった背後には、米英に対する被害者意識がありました。アメリカも日本の真珠湾奇襲攻撃を受けると、被害者意識を利用し、国民の戦意を高揚しています。
被害者意識を放っておくのは危険です。個人の人生や国家の未来を誤らせます。そうなる前に、克服しなければならない感情です。
キリストは弟子に裏切られ、同胞に見捨てられ、十字架につけられましたが、被害者意識のかけらもありませんでした。ヘブル書は私たちを激励します。「あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方(キリスト)のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです」(12:3)。