空論は滅びの原因

司馬遼太郎が著書『この国のかたち』(文芸春秋)のなかで、「宋学(たとえば朱子学)が、国を滅ぼした」という説を紹介しています。日本がアメリカを相手に無謀な戦争に突入し、国を滅ぼした遠因は「宋学」にあるというのです。「宋学」は空論であり、日本人の空論好きは「宋学」から来ていている。昭和の日本を戦争へと引きこんだ軍閥は、「脆弱な国力を激情的な空論でごまかし、空論で他(米英中)を論じ、空論で自己を肥大させ」、アメリカに勝てると思い込んでしまった、というわけです。
 「宋学」とは、中国・宋時代(960-1279)の学問です。本来、漢民族は経験的で実際的な民族です。しかし、宋だけは中国ではないといいたいほどの理屈好きで、知識人たちは空論の世界に遊びました。北方異民族に領土の北半分を奪われた危機感から、宋という王朝の正統性を訴える大義名分論や、排外主義の尊皇攘夷論に走ったようです。
 ところで、西欧のキリスト教神学の教義もそれに近いのではないかと思います。たとえば『三位一体論』。「父、子、聖霊は三つの独立した神格であるが、本質的には一つの神である」という宗教概念です。それを、人間の理屈で論証するのが西欧神学です。私は、『三位一体論』の論証よりも、「唯一なる神が、父なる神、子なるキリスト、聖霊として、現実に活動しておられる」ことを信じ、その力を現実の生活で実体験することのほうがはるかに大切だと考えます。
なぜ西欧神学は『三位一体論』を理屈で論証しようとしたのか。一つには異端という敵が存在したからです。宋に北方異民族、日本に米英という敵がいたのと同じ構図です。キリスト教にはギリシャ哲学の合理主義、日本には宋学という空論が後押しをしました(三位一体が空論というのではありません)。
今も、神学議論(空論)は続いています。敵が存在するからです。敵の存在は、自己を正統化するための「空論」に走らせる危険があることを心に留めましょう。私たちも、日常生活で危機や敵に遭遇すると、空論に走りやすいからです。