人類が工業、交通を高度に発達させた産業化社会が自然環境を破壊し、多くの動植物を絶滅に追いやり、そして自らの人間性も汚すようになった、と言われます。そして、産業化する前の世界は、自給自足を基本にし、人と自然とが調和していたと思い込んでいます。しかし、それは今日の社会から過去を理想化して見るからなのかもしれません。
生物学者のジャレッド・ダイヤモンドは、その著書『第三のチンパンジー』(草思社)で、「産業化以前の社会でも、何千年という年月にわたり、種(しゅ)は絶滅に追いやられ、環境は破壊され、(人間は)自らの存在を危うくしていた」と述べています。
例えば、ニュージーランドには、原産の種々の鳥類、小型動物、両生類、昆虫などが、大昔から住んでしました。しかし、産業革命の申し子イギリス人が19世紀に移住したころには、少なからぬ種がすでに絶滅していたそうです。その中には、体長3m、体重230㎏のモアという鳥もいます。実は、11世紀に入り込んだマオリ族が森林を切り開いて環境を変え、モアを大量に捕獲して食べ尽くしたのです。百を超える遺跡からそれがわかるそうです。同じことは、マダガスカルやイースター島など世界各地で起こっています。
南米チリから西方3700㎞の太平洋上に浮かぶイースター島に、最初に入植したのは海洋民族ポリネシア人でした。西暦400年ころです。当時島は樹木に覆われていましたが、畑を作るために徐々に切り開かれていきました。イースター島といえば、高さ11m重さ85トンにもなる巨大な石像です。木はその石像を運ぶコロとしても使われました。しかし、1500年ころには樹木は1本の残らず消えてしまい、千体ほどある巨像も部族間の争いで、倒されてしまいました。その争いで島の社会は崩壊、不毛となった土地には巨像が転がり、村には矢じりが散乱しているそうです。
人間の貪欲さや自己中心性は、昔も今も変わりません。どの民族であろうと、未開人、文明人に限らず、罪の性質は同じです。むしろ現代人は多くの知識を持つ分、獰猛なのかもしれません。地球の自然界、生物界は、罪人が登場して以来、受難続きです。
私たちは神の国の完成を待ち望んでいますが、自然界は「切実な思いで神の子供たちの現れを待ち望んでいる」(ロマ8:19)のです。