この日本で「普通の生活」をしていれば、まず健康的に暮らせます。
たとえば、バランスの取れた食事を普通に三食とっていれば、不足している栄養素は一つもありません。それで十分、栄養もビタミン類もミネラルも摂取できています。
ところが、体の調子が悪い、疲れが取れない、肌つやがないといったように不調を感じると、「何かの栄養素が不足しているからだ」と思いこんでしまいます。それは現代日本人特有の幻覚であり、栄養障害ではありません。そして、サプリメントを飲んで不足がちな栄養素を補うという行為は、脅迫的な神経状態に近いと言えます(福岡伸一『動的平衡』小学館新書参照)。
まず、バランスの取れた普通の食生活を取り戻すべきなのですが、ビタミン〇が不足している、DHAやEPAを錠剤で摂取したほうがいいと、振り回されてしまうのです。体の一部分のために何かを取り入れ、一時的な効果を発揮しても、体は全体で機能し変化しているので、すぐに元に戻ります(シワを無くするアンチエイジングもすぐ元に戻るそうです)。
今の社会は、普通ではないことをし過ぎです。ここでは普通ではないとは、人為的、人工的な手を加えることです。普通とは、人為的、人工的なことを排除し、神が本来造られ、定められたことに従うことです。それが、「神のかたち」に造られた人間の本来の生活の仕方なのです。
クリスチャンとしても、普通の信仰生活を確立することが大切です。まず、主日(日曜)の礼拝を軸とした1週間を組み立てることです。そして、教会のエクレシアの学びを続けること、毎日の祈りの時間を定めることです(聖書は声に出して朗読することをお勧めします)。この「普通」なしに、何か特別なあれこれに手を出してみても、一時的な変化に終わり、安定した魂の健康と霊の成長は望めません。
大いなることは「普通」から始まります。私たちは、世を祝福するために「普通」以上のことを成し遂げたいと願います。しかし、それは「普通」の生活を確立することからしか始まりません。