平和を実現する(つくる)人々は、幸いである

「平和を実現する(つくる)人々は、幸いである」(マタイ5・9)

■偽りの平和の後に来る破滅
 スクラップしていた1987年元旦の朝日新聞に載っている対談記事を紹介します。87年はバブルまっさかりの年です。発言者はカトリック信者の加賀乙彦さんです。
 「(昭和10年は、)雰囲気とかが奇妙に現代に似ているところがあります。昭和10(1935)年は空前に経済繁栄し、社会は安定していた。生糸、綿布の輸出は英国を抜いて世界一になっていたし、国民総生産は飛躍的に増大していた。勢力圏からいっても、旧満州、北樺太、マーシャル群島という風に空前の広がりを見せていた。そして国民全体は一種の安定感にひたっていたのです。満州事変や上海事変などがあって、不気味な影は刻々と迫っていたのに、時代の空気は非常に楽天的なのですね。・・・国民の意識は、戦争をしているというのではなく、平和を謳歌している。その平和のために現状を維持したいという気持ちが強い。その現状を守るために・・・軍備をどんどん拡張する。その軍備拡張のおかげで日本は好景気になった。で、・・すべてが吹っ飛んだのが2・26事件でしょう。すべてが崩壊するまでに、一年もかかっていない。同じようなことが今の日本にもいえる(6年後日本は太平洋戦争に突入する)。」
 実は同時期のヨーロッパも同じで、台頭するナチスドイツに目をつむり、英仏の国民は自国だけの平和に執着して、「平和、平和」と叫んでいました。
大崩壊する前に、国民が偽りの繁栄と平和を謳歌し、忍び寄る崩壊に目をつむって楽天的になることは、人類が歴史の中で何度も繰り返してきたことです。聖書も、「彼らは、わが民の破滅を手軽に治療して、平和がないのに、『平和、平和』と言う。」(エレ6・14)「平和がないのに、彼らが『平和だ』と言ってわたしの民を惑わす」(エゼ13・10)と語り、その後破滅が襲ったことを記録しています。

■平和をつくるには
 加賀さんがあの発言をしてから17年になります。その間、バブルが崩壊し、湾岸戦争があり、世界は不況に陥り、環境破壊は進み、今年はイラク戦争が勃発しました。今私たちが見ているのは「偽りの平和」であることは明らかですが、それでも平和気分にひたり、忍び寄る崩壊に目をつむっているのではないでしょうか。
 口先だけの平和・反戦運動で、平和がつくられることはありません。それは聖書も人類の歴史も証明してきたことです。人類の歴史は、罪という得体の知れぬ大きな力のうねりに動かされてきました。人々が群れになって平和を叫び、戦争の悲惨さを訴えても、地球上のどこかで毎年のように戦いや破滅は繰り返されてきたのです。
 「幸いな人」とは、平和を愛し、叫ぶ人ことではありません。犠牲を払って忍耐強く現実に「平和をつくり上げていく人」のことです。キリストは「平和をつくる者は幸いです」と語られましたが、その前に「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と叫ばれました。「天の御国」は完全な平和の国です。その国に入るためには悔い改めが必要だとキリストは言われるのです。では、何を悔い改めるのでしょうか。
 戦争や破滅の原因は、人間の心に巣食う罪です。具体的には、貪欲であり、傲慢であり、人を憎み赦さない心です。その罪を悔い改めなさい、心と生活の態度を神の前に正しなさい、とキリストは叫ばれたのです。この罪を悔い改めない限り、国民全員が平和を叫んでも戦争や破滅の悲劇は人類を襲うでしょう。しかし、真実に悔い改めがなされば、平和を叫ばなくても、戦いは止みます。
 聖書によれば、ある国の民が罪を悔い改め、来るべき滅びをまぬかれたことが、歴史上ただ一度だけありました。それは二千数百年前のアッシリアです。預言者ヨナから滅びの警告を受けたアッシリアの首都ニネベの民12万人全員が、王から一般庶民にいたるまで断食をもって神の前に悔い改めたのです。ニネベは破滅から救われました。
 このような悔い改めの奇跡がない限り、戦争は絶えず、環境破壊も進み、やがて人類は破滅を迎えるでしょう。
 確かに、国民全員が一度に悔い改めることは難しいかもしれませんが、「私」という一個人が悔い改めることはできます。そのとき、「私」の心に平和がつくられます。そして「平和をつくる者は幸いです」というキリストの言葉が実現します。家族の平和も、社会の平和も、世界の平和も、まず、自分の心の平和からしか始まらないことを、キリストは教えているのです。
 (6月22日の礼拝メッセージから)