「私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。」(エペソ1・2)Ep?(先週の続き‥平安)
あなたの平安の土台はどこにありますか。失えば最も不安になるものは何でしょう。それがお金なら、あなたはお金を平安の土台にしているのです。年収や貯金が1千万円あれば平安でしょうか。しかし、お金というものは増えれば増えるほど不安の材料にもなるから不思議です。家族が平安の源だという方もおられるでしょう。が、家族もまた不安の原因になります。病気、失業、浮気、いじめ、受験、就職・・・と逆に平安を揺るがす元凶にすらなり得ます。この世に平安を保証するものは何一つありません。
パウロの言う平安は、神の不変の愛と恵みを土台とした平安です。そもそも何かが起これば失われてしまうような平安は、もともと平安ではなかったのです。もちろん誰でも、財産や家族を失えば一時的には不安に陥ります。しかし、平安の土台が崩壊したわけではありません。
キリストは十字架にかかる前夜、弟子たちにこう言われました。「私はあなたがたに平安を残す。あなたがたに私の平安を与える。私があなたがたに与える平安は、この世が与える平安とは異なる」(ヨハネ14・27)。キリストは何が起っても揺るぐことのない平安を私たちに残されたのです。それは「私の平安」と言われているように、キリスト自身が持っておられる平安で、誰も奪うことのできない平安です。
イザヤは30章15節にこうあります。「『立ち返って静かにすれば、あなたがたは 救われ、落ち着いて信頼すれば、あなたがたは力を得る。』しかし、あなたがたはそれを望まなかった。」動揺しても、主に立ち返れば、主の残された平安を必ず発見し、救いと力を受けます。それでも平安を得られないとすれば、「あなたがたがそれを望まないから」です。