終わりの日は近い

「世界の人口ピラミッドnet」の統計によると、2018年の世界人口は76億(7,597,175,534)人で、2038年には90億人を超えると予測されています。 地球はこの人口増加に耐えられるのでしょうか。 もし世界中の人がトウモロコシ(穀物類)のままで、仲良く分け合って食べるなら、200億人が住めるそうです。しかし、トウモロコシを飼料として鶏肉に変えて食べるなら70億、ポークで食べるなら40億、ビーフなら30億以下になります。世界中の人がアメリカ人のような生活をするなら、せいぜい30億人ということです。 私たちも、アメリカと同じような食生活、ライフスタイルに憧れてきました。14億の人口を抱える中国もそんな生活に向かって驀進中、13億5千万のインドも後を追ってきています。限界が迫っているのです。今の生活水準を維持するなら90億人が限界だと聞きましたが、納得できる数字かと思います。このままなら、あと20年ほどです。 しかし、何千年と自己中心的な生き方をしてきた罪人が、いよいよ地球の限界が近づいてきたからと言って、突然、自己犠牲的、博愛的な生き方に切り替えられるとは、とうてい思えません。できても、ごく一部の人です。飽食や美食に慣れ、空腹や飢えを経験したことのない先進諸国の人々には不可能に近いことです。 世界的な進化生物学者のジャレド・ダイアモンドは、人類滅亡の日を2050年頃と考えています(NHKBS)。高度な文明というのは長く続くことはなく、進化の果てに滅びるというのです。メソポタミアに人類の文明が始まって1万年あまり、ゆっくりと発展してきましたが、この百数十年の間に急速に進歩し、とどまることを知りません。進化説の立場でも、人類は滅亡に向かって突進しているようです。 黙示録の告げる「終わりの日」が近付いていることは、目でも見え、体でも感じられるようになってきました。キリストを信じる者には「終わりの日」は、「新しい天と地」を迎えるという希望の時ですが、そうでない人には恐怖と絶望の時となります。私たちには、そうした時代に置かれたクリスチャンとしての使命、役割があります。  先週の洗礼式では、家族が救われるということがどれほどの喜びであるかを、しみじみと感じました。私たちは、この喜びを何度も味あわせてい ただけるように、主に求め続けます。