私は郷里の綾部を離れて、今年で47年になります。綾部は京都府北部の山陰地方に所在し、舞鶴、福知山、宮津とともに、丹後中丹四都物語を形成しています。舞鶴は、二葉百合子の「岸壁の母」で知られるようになった元軍港(現海上自衛隊基地)です。福知山は、来年のNHK大河ドラマで汚名返上を目指す明智光秀の居城があります。宮津は、言わずと知れた日本三景「天橋立」の町です。 では、綾部は何があるのか、何を生み出したのか。いろいろあります。まず、キリスト者波多野鶴吉(1858~1918、安政5~大正7年)を取り上げたいと思います。 1.「放蕩息子」から郡是(グンゼ)製糸の創始者に 肌着メーカーとして知られるグンゼをご存知でしょう。もともとは郡是製糸株式会社といいます。1896(明治29)年、京都府北部の何鹿(いかるが)郡(現綾部市)に設立されました。当時京都の郡部は、鉄道も敷設されていない辺鄙な土地でした。 階層分化が進まず、小作農は極めて少なかったのですが、それは逆に言えば、豪農も存在せず、大資本が育っていない土地でした。それゆえ、互いに助け合う気質があり、郡是はそうした住民の小さな資本を寄せ集めた協同組合としてスタートするのです。何しろ株主の九割以上が一、二株の貧しい養蚕家でした。 グンゼは実にユニークな企業です。なにしろ、郡是は企業の常識である利潤追求を第一としませんでした。殖産興業・富国強兵策の下、労働者が劣悪な条件で過酷な労働を強いられた時代にあって、競争原理に立たず、労働者や養蚕農家の福利を優先したのです。それでも成功したました。倫理観も高く、しかもあの時代に地域社会や自然との「共生」という概念を生み出しています。 こうした郡是の理念を打ち立てたのが創業者の波多野鶴吉でした。(続く)