覆い(カナフ)

ユダヤ教徒は祈りのときに、タリットという布製の肩掛けを羽織ります。いわば大きな正方形のショールです。その四隅には、ツィツィという房がついています。ツィツィは、613の律法を表しています。 民数記や申命記では、ツィツィのついている部分は「カナフכָּנָף」と呼ばれ、「裾」を意味します。しかし、その同じことばが「翼」とも訳されます。 たとえば、ルツ記で、ボアズはルツに、「あなたがその翼(カナフ)の下に身を避けようとして来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように」(2:12)と言って祝福しています。また3:9では、ルツがボアズに、「あなたの覆いを私の上に広げてください」(共同訳では「衣の裾を‥上に広げてください」)と頼みましたが、その「覆い(裾)」というのもこの「カナフ」です。つまりルツは、「私をあなたの翼の下に入れてください」と言ったのです。 詩篇の記者が主に向かい、「私を、瞳のように見守り、御翼の陰に私をかくまってください」(17:8)と歌っているのも、同じイメージです。 さて、マラキ書4:2に、「わたしの名を恐れる者には、義の太陽が昇る。その翼に癒やしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のように跳ね回る」とあります。この「翼」も「カナフ」ですが、その「カナフ」に癒しの力があるというのです。この節はメシア到来の日を示すものと理解されていました。 実は、主イエスも、ツィツィのついたタリットを着ておられました。マタイ9:20では、12年もの間、長血を患っていた女が、後ろから主に近づき、イエスの着物の裾(カナフ)に触れる場面があります(ヘブライ語訳マタイの福音書参照)。つまり、「翼」です。彼女は、イエスがメシアなら、その「翼」に癒しがあるはずだと信じていたので、そのカナフに触れたのです。そして、メシアなるイエスは、その信仰を見て、彼女を癒されました。 ユダヤ教徒がタリットで体を覆って祈るとき、主の御翼の下に入っているのです。私たちもキリストの翼に覆われて祈ります。 *カナフ=翼、覆い、裾、角(かど)