ヨセフはイスラエルの子らに誓わせて、「神は必ずあなたがたを顧みてくださるから、そのとき、あなたがたは私の遺体をここから携え上ってください。」と言った。ヨセフは百十歳で死んだ。彼らはヨセフをエジプトでミイラにし、棺に納めた(創世記50・25,26)。
ヤコブの十二人の息子の一人であるヨセフが、この願いを子孫に託してエジプトの地で死んでおよそ四百年後、彼の預言どおりイスラエルの民族は約束の地に向かって出エジプトをします。その際、彼らはヨセフとの誓いを忘れず、彼の骨を携えて行きました。四〇年間荒野をさまよいましたが、モーセの後を継いだヨセフ(エフライム)族のヨシュアが数年をかけて約束の地を征服します。彼はイスラエル十二部族に土地を分配した後、くしくもヨセフと同じ百十歳で生涯を終えました。
その直後、ヨシュア記はこう記しています。「イスラエル人がエジプトから携え上ったヨセフの骨は、シェケムの地に、すなわちヤコブが百ケシタでシェケムの父ハモルの子らから買い取った野の一画に、葬った」(24・32)。
私は、さりげなく記されたこの事実に深い感慨を覚えます。ヨセフが死んで四五〇年以上の時を経て、彼の骨はついに父ヤコブが買い取った土地に葬られました。ヨセフは十人の兄たちにエジプトに奴隷として売られましたが、逆境を忍んで宰相となり、兄たちを恨むどころかエジプトに呼んで飢饉から救ってやり、そして今、彼だけが約束の地に戻ってきたのです。日本でいえば、戦国時代の毛利元就が「やがて日本人が星に向かって旅立つときが来る。その折、私の骨を携えて行き、星と星の間に撒いて欲しい」という遺言を残し、それが現代の彼の子孫によって実現するようなものです(毛利衛さんが元就の子孫かどうかは知りませんが)。でも、そんな想像を絶することが起こったのです。
長い歳月、土の中に眠っていた願いが、掘り起こされてきちんと実現する。それが聖書であり、神のなさることです。
(ヨセフの骨が埋められたシェケムは、キリスト時代のサマリア地方、現在のパレスチナ自治区ヨルダン西岸のナブルスにあたります)