祈りなしには生きられない

 先だって、韓国の牧師ジョン・ビョンウクのメッセージを聞きに行きました。機関銃のようににまくし立てる口から、突然、「祈りなくしては生きられないような顔をした女性」という言葉が飛び出し、聴衆の若い女性たちからどっと笑いが起こりました。私はこの表現のどきつい婉曲さ(?)に一瞬戸惑いましたが、ジョン牧師はニコリともせず、「私は彼女に、だれの前でも喜んでいるように勧め、それを実践した彼女は男性たちに好意をもたれるようになった」と、パッピーエンドで話を結びました。「福音は実践させる力である」というテーマの例話でした。しかし、会場を去った後も、「祈りなくしては生きられない顔」という言葉が私の耳から離れませんでした。
 数日して、「祈りなくしては生きられない」人とは、「心の貧しい人」の別の表現だと思い当たりました。そして、キリストの言葉どおり、「心の貧しい(祈りなくしては生きられない)人は幸い」なのです。私たちは、だれもが「祈りなくしては生きられない」性格や、能力や、健康状態や、経済状態や、境遇・・・にあるのではありませんか。祈りなくしては実現できない願いやビジョンを抱いている人もいるでしょう。しかし、「祈りなくしては生きられない」という自覚と、その祈りの実践が私たちを幸いにするのです。
 主は、イスラエルという弱小民族を選び、「祈りなくしては生きられない」ような土地に置いて、神に信頼することの確かさを学ばせようとされました。彼らに与えられた土地は「乳と蜜の流れる地」と表現されていますが、実際にはたびたび旱魃に見舞われる乾燥地帯でした。しかも、ヨーロッパ、アジア、アフリカ大陸をつなぐ要所に位置し、エジプト、メソポタミア、ギリシャ、ローマなどの大文明国の勢力が覇権を争う土地でもありました。小国イスラエルはそれらの大国に翻弄され、艱難辛苦を味わってきたのです。
 しかし、唯一の神を信じた唯一のイスラエル民族は、それら多神教民族の残忍な圧政を生き抜きました。そして、この民族からキリストが登場し、「心の貧しいものは幸いである」という逆説的な言葉を宣言されたのです。これは長いイスラエルの歴史に裏打ちされた神の真理です。
今、「祈りなくしては生きられない」状態にありますか。であれば、主はその人に「幸いである」と言われます。「天の御国はその人のものだからです。」

*「祈りなくしては生きられない女性」とは、とびっきりの美人なので、傲慢になったり、外観の美しさに惹かれて近づく男性を見誤ったりしないために、祈りなしには生きられないという場合もあります。同様に、能力や環境が良すぎる人も祈りなしには生きられません。