「神はこの恵みを私たちの上に溢れさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって御心の奥義を私たちに知らせてくださいました。それは神が御子において予め立てられた計画によることであり、時がついに満ちて、この時のための御心が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものがキリストにあって一つに集められることなのです。」(1・8〜10)?
奥義とは、人間の知性には隠されているが、聖霊によって特定の人たちに啓示されるもののことです。ここに記されている奥義とは、「時が満ちて、天地にある一切のものがキリストを中心に一つに集められること」です。
「時が満ちて」とはキリストの再臨の時です。天地のすべての現象やあらゆる人間の営みは神の摂理のもとに動いていますが、やがて「時が満ちれば」そのすべてがキリストのもとに集められるというのです。人類の歴史の中で様々な国が興っては滅び、様々な文化が栄えては消え去っていきました。その繰返しが今日まで続いていますが、その歴史がキリストという中心に帰一する日が来るのです。その日には、キリストが王としてすべての民族や国々を治められ、一つの政治、一つの文化、一つの礼拝に統一されます。
また歴史上生存した「唯一真の神」を信じる百億以上の人々が、ユダヤ人も異邦人も関係なく、教派教団を越え、また民族や人種や時代を越えて一つに集められ、「イエスは主」と崇めます。異なる言語、異なる賛美や祈りの形式、異なる服装でキリストを礼拝する人々が一堂に会しているのを見て驚くことになるかもしれません。賑やかな教会も静かな教会も、大きな教会も小さな教会も、礼拝形式や伝道方法の異なる教会も、対立し合っていた教会も一つにされ、なぜ同じ兄弟姉妹でありながら疎みあっていたのかと恥じることになるでしょう。初代教会や迫害時代のクリスチャンに出会い、彼らの信仰の偉大さに圧倒され、自分の信仰が生温ったことを思い知るでしょう。しかしそれ以上に、こんな自分もキリストにあって集められたことに感謝が心にあふれ、狂喜するにちがいありません。
さらには天使も人間も、天上にある神の国と地上にある神の国も、キリストにあって一つになります。こうして天地を統合する一つの神の国が建てられ、キリストが王として治められるのです。クリスチャンは、そのキリストの王国を受け継ぐ者になると約束されています。やがて私たちは、この奥義が現実になるのを目にするでしょう。