まず、1987年元旦の朝日新聞に載っている対談記事を紹介しましょう。87年はバブルまっさかりの年です。発言者はカトリック信者の加賀乙彦さんです。
「(昭和10年は、)雰囲気とかが奇妙に現代に似ているところがあります。昭和10(1935)年は空前に経済繁栄し、社会は安定していた。生糸、綿布の輸出は英国を抜いて世界一になっていたし、国民総生産は飛躍的に増大していた。勢力圏からいっても、旧満州、北樺太、マーシャル群島という風に空前の広がりを見せていた。そして国民全体は一種の安定感にひたっていたのです。満州事変や上海事変などがあって、不気味な影は刻々と迫っていたのに、時代の空気は非常に楽天的なのですね。・・・国民の意識は、戦争をしているというのではなく、平和を謳歌している。その平和のために現状を維持したいという気持ちが強い。その現状を守るために・・・軍備をどんどん拡張する。その軍備拡張のおかげで日本は好景気になった。で、・・すべてが吹っ飛んだのが2・26事件でしょう。すべてが崩壊するまでに、一年もかかっていない。同じようなことが今の日本にもいえる(6年後日本は太平洋戦争に突入する)。」
実は同時期のヨーロッパも同じで、台頭するナチスドイツに目をつむり、英仏の国民は自国だけの平和に執着して、「平和、平和」と叫んでいました。
大崩壊する前に、国民が偽りの繁栄と平和を謳歌し、忍び寄る崩壊に目をつむって楽天的になることは、人類が歴史の中で何度も繰り返してきたことです。聖書も、「彼らは、わが民の破滅を手軽に治療して、平和がないのに、『平和、平和』と言う。」(エレ6・14)「平和がないのに、彼らが『平和だ』と言ってわたしの民を惑わす」(エゼ13・10)と語り、その後破滅が襲ったことを記録しています。
加賀さんがあの発言をしてから17年になります。その間、バブルが崩壊し、湾岸戦争があり、世界は不況に陥り、環境破壊は進み、昨年はイラク戦争が勃発しました。今私たちが見ているのは「偽りの平和」であることは明らかですが、それでも平和気分にひたり、忍び寄る崩壊に目をつむっているのではないでしょうか。