死んでいた者(エペソ2・1、2)?

「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。」(エペソ2・1、2)

あなたがた異邦人は「死んでいた者」である、とは強烈な言葉です。それはどういうことでしょうか。

第一に、罪のために神との関係が断ち切られている人のことです。
そのため神に愛されていることがわかりません。自分がどこから来てどこへ行くのかもわからないし、何のために生きるのかもわかりません。自分が神の目に尊い存在であることも悟れず、自分の人生をぞんざいに扱います。幹から切り離された枝は最初は青々していてもやがては枯れます。電源が切れた冷蔵庫の中は腐り、腐臭を放ちます。神とのつながりを拒否した文化もそうです。そうした文化はまさに死んでおり、腐臭を放っているといえます。停電になれば冷蔵庫の中身が気になるのに、神とのつながりが断たれても平気なのは悲しいことではありませんか。

第二に、この世の流れに従っている人のことです。
世の中と調子を合わせて赤にでも黄色にでも染まっています。物質主義、快楽主義、自己中心に走り、退廃した風潮に従って、何の疑問を感じません。今自分のしていることが罪であっても、その結果どうなろうとも、無頓着です。そして「みんな同じことをしているじゃないか。自分がこうして何が悪い。ほっといてくれ」というのです。しかし、この「世の流れ」の行き着く先は滅びです。

第三に、空中の権威を持つ霊に従っている人のことです。
空中の権威を持つ霊とはサタンです。サタンは巧みに人の心を操作します。私たちの弱みにつけいり、長所を逆手に利用し、誇りをくすぐり、思うように操るのです。サタンは雰囲気作りも上手です。映画やテレビや音楽を利用して社会全体に快楽主義的、反道徳的な「空気」を作り、罪を犯しても堕落しても、良心に痛みが来ないようにしてしまいます。イエスを十字架に付けろと叫んだ群衆もそうでした。一人では何もできないのに、グループになると平気で悪いことができるのもそうです。

私たちも注意しないとサタンが作る「空気」「群衆心理」に飲み込まれてしまいます。サタンの「空気」を破る方法は「水をさす」、つまり聖霊に従うことです。あなたの生活や教会はどの「空気」に支配されていますか。一人の勇気がサタンの「空気」を破ります。

(2004-5-3)